「友達がほしい」は何かを隠すためのウソ
ナリさんのブログを読んでノートとペンで頭の中を書き出してみて落ち着かせるといいってあった。
頭の中の思考は頭の中だけじゃ整理しきれないっつーことらしい。
なぬーん。
んで、自分の頭の中を書き出しみる。
最近、シェアハウスに引っ越した。
でも、いまいち交流することを楽しめないんすよね。
自分が望んでたはずが冷めるというか飽きるというか。
こういうパターンはよくあって。
引っ越したきっかけは「友達がほしい」だとか「人と関わりたい」からだったのね。
そう思う背景にはさみしさを紛らわせたい、さみしさを埋めたい、っていう気持ちがあって。
なんでそんなにさみしいのかな?って問いを投げかけてみると、友達がいない自分はダメっていう思い込みがあるから。
友達がたくさんいる人がぼくの中の理想像で、そうなれていない自分を自分自身で否定しまくっている。
これがさみしいの正体なんだろうなと。
①友達はたくさんいなければ!
↓
②友達がいない自分はダメだ (自己否定)
↓
③さみしい
↓
④さみしさを紛らわす行動へ(例:シェアハウス)
↓
⑤すぐに冷める、飽きる
↓
①へ戻るの繰り返し、エンドレス
「○○がほしい」「○○がしたい」は「○○がない自分はダメだ」「○○ができていない自分はダメだ」っていう不安から行動がスタートしていて、「友達がほしい」と言いつつも、根本にあるのは「友達がいない自分はダメだ」っていう自分だから、結局友達ができなくて、さらに、ああやっぱり自分はダメなんだ〜っていう悪循環に陥ってしまうのだなあと。
不安からスタートすると、その不安を強化する結果になってしまうのだな。。。
始まりは、あるべき理想像になれていない自分。
こんなはずじゃない!
こんな自分はイヤだ!
認めたくない!
と心の中で叫んで自己否定しまくっている。
この「あるべき理想像」ってなんだ?
・友達はたくさんいること
・明るく元気でいること
・正社員で働くこと
・結婚して家庭を持つこと
・子どもをつくること
・男ならバリバリ働いてお金を稼ぐこと
・男なら強くあること
・男なら出世すること
・社交的であること
・礼儀正しくあること
思いつく限り書くとこんなにあって、考えてみると、今の自分はどれもクリアしていないってことにびっくりする。
あるべき理想像として自分の中に掲げているはずがどれも満たせていないって、、、。
これ、まじすか〜
このあるべき理想像って、つまりは親や世間からの期待なんだな。
この期待をたくさん自分で自分に課して、んで、できなくて、自己否定してるって、、、うーん。。。
ノートに書き出してみたのはとりあえずここまで。
どうやら根っこには親との関係があるみたいだな〜。
確かにそこには立ち入りたくない自分がいる。。。